延命治療について

父の入院中、「延命治療」について二度、主治医に聞かれました。

一度目は救急で入った病院の主治医に。
私は病院が家のすぐ近くだったので、毎日連絡ノートを交換しに行っていました。
父の場合、意識もはっきりしていましたし、特に認知機能の衰えもなかったので、ものすごくたくさんノートに記入してありました。
病状については、主治医が「病識がない」というほどで、父は「痛くもなければ苦しくもないのに…」とお友達に宛てた葉書に書いてあったほどです。
 
入院から数日たって、偶然主治医と病棟で会うことができたときのことです。

主治医「少しお時間いいですか。今後の治療についてなのですが…」
と切り出されました。
私「はい。どうぞ」
主治医「お父さんの場合、病識はないようですが、症状は重症です。この先、いつ病状が変わるかわかりませんので、お話させていただきたいのですが…」
私「はい」
主治医「延命治療についてです」

ここまで神妙に私の顔色を覗っていた主治医ですが、
私「あ、先生、うちの場合、終活を家族全員でしていて、延命治療のことも話てあるので、大丈夫ですよ」
というと、ほっとされた顔で続きを話してくださいました。

主治医「一応お話しておきますが、延命治療にもいろいろありまして、例えば、心肺停止の場合などに行う処置として、「気管挿管」「心臓マッサージ」がありますが、「気管挿管」は一度挿管したら、次にその管をを外す時は「死」を意味します。家族が患者さんの命の選択をしなければなりません。次に「心臓マッサージ」ですが、肋骨が折れるくらいの力がかかります。そのため、患者さんはその後、痛いです。」
私「たぶん、父に同じことを聞いても「やらない」というと思いますが、私もやらない方向でお願いします」
主治医「そうですか。お父さんもそれでいいでしょうか」
私「なんなら父に今聞いてきますか?」

ここで先生ちょっと焦る。(笑)
主治医「看護師に確認してきますので少し待っていてください」
面会ができないコロナ禍で家族同伴で「延命治療」について聞くことになったので、主治医の先生も許可をもらわないといけないのだ。
 
数分待って、父の病室に一緒に入らせてもらった(個室だったこともある)
数日ぶりに会った父は意外と元気そうだった。
 
主治医「あの、お父さんの延命治療についてなのですが…」
父「うん、それで」
私「あのさ、前に終活したでしょ。それで、延命治療はしない方向でってことにしたじゃない?そのことの確認なんだって」
父「いいよ。それで」
主治医「あの、一応説明しますが、今すぐそうなるわけではないのですが、そういう場合にはと言うことなので…」
父「いいよ。カルテとかに書いておくの?」
(看護師さんがカルテにメモしている様子だったけれど、それほどしっかりした文章でのサインなどはありませんでした。)

その後父は肺炎が良くなって(といっても、一か月ほど入院しましたし、酸素はずっとつけたままです。厳密にいうと、この酸素をつけることも延命治療のひとつにはいるのだそうです)、COPD呼吸リハビリテーション地域連携パスを使ってリハビリ専門の病院に転院することになりました。
つづく。

入院時確認しておきたいこと。

相談員さんを探そう。

大きな病院では、当たり前にいる医療ソーシャルワーカーさん。入院患者さんだけでなく、ご家族の相談にも乗ってくれます。
ただし、この相談員がいることをちゃんと教えてくれる病院と、そうでない病院があります。
私の父が最初に入院した病院は、私が訊ねていくまで、その方々にお会いすることができませんでした。

本来ならば、病院側で入院時の一環としてこの「医療ソーシャルワーカー」さんを初日に紹介してほしいです。

そうすることで、患者さんのご家族はこれから使える制度やお金のこと、その他もろもろについて担当相談員さんに相談ができます。

現在、新型コロナウイルス感染予防のために患者さん(家族)に会えないことが多く、頼み事は看護師さんが家族に電話をかけてくるという方法がとられている病院が多いようです。

でも、お忙しい看護師さんが患者さんの要望(例えば、〇〇が足りないから持ってきてほしい)と患者さんのご家族に電話をします。ご家族が仕事中だったり、看護師さんが交代したりすると、なかなか伝わりません。

それに、もしも家族が「それはどこにあるか聞いてください」と看護師さんに頼んだとしたら、もっと手間暇がかかります。
医療ソーシャルワーカー(NSW)さんは相談業務の専門家ですから、担当の病棟で看護師、医師、例えば、会計等々の病院内のこと、制度のことについて詳しく知っていますので、時間をとってお話を聞いてくれます。
もしも、入院が初めてで、「わからないことが分からない」場合には、ぜひ相談室に行ってみてください。

 

父との連絡ノート

父は心臓、肺は悪かったのですが、認知機能はしっかりしていたので、私はノートを二冊用意して、連絡ノートを作りました。一冊は父が病室に置いて日々書くもの。もう一冊はそれを読んでメモして帰ってくるもの。

あと、ポストイットのメモ用紙
これは、看護師さんにお願いしたいことをメモしておくため。
その他に用意したものは、三色ボールペン、便せん、封筒、葉書、切手。
急に入院になった父はいろいろと連絡を取りたいところがあったらしく、葉書でお友達に手紙を出していました。
 
実際に持っていったものは、全部100均で揃えましたがこんな感じです。

次に知ってると便利な手続きなどを書きますね。



親が病気になったとき。

2020年は新型コロナウイルス感染で世界中が大騒ぎでしたね。

そんな中、私の父が入院しました。

2020年の六月頃から、父は咳が出て、身体が怠いせいか、寝てばかりいました。私は父とは少し離れた距離に住んでいるので、日々の様子はあまりわかりません。ただ、マレットゴルフが趣味の父がそのマレットに行かないというのは、やっぱり変かなぁ。くらいに思っていました。父は昭和10年生まれ。84才ですから、そんなものかなぁ。という認識でした。

 長年通っていた診療所では、咳止めの薬を出してもらう程度で、他にはあまり医療面では変更はなく、咳も昔から出ていたので、気にしてはいませんでした。

 ところが、9月に入ってから、父と診療所に一緒に行った際、主治医から「心房細動があるので、カテーテルで治療をしたら?」
という提案をいただきました。
主治医の診断では、「心房細動により、肺に水が溜まりやすいので咳が出る」でした。

ところが、父が急に動けなくなったのです。

それは診察の次の次の日のことでした。私が実家に行くと、母が
「お父さん、昨日お買い物に行ったら、途中で歩けなくなっちゃったのよ」
というのです。
これはただ事ではないと思った私は、数日前に診察を受けた診療所に電話をかけました。
(この時、かかりつけの薬局で薬剤師さんに成り行きを相談しました)
受付の方は、
「カテーテルの予約は最短でも10月1日なんですよね。まあ、一度病院にきてみてください」
いつもは歩いていく父もこの時ばかりは苦しかったらしく、「車椅子に乗る」と自分から言っていました。

診療所について、まず血液検査、レントゲン、CT。
それが済んで血圧を測る段になって、初めてその診療所でパルスオキシメーターを使いました。熱は平熱です。
すると、測った看護師さんから「〇〇さん、大丈夫?」と声がけがあり、すぐにベッドへ移動してください。と言われ、先生も駆けつけてくれました。

その時の父の血中酸素濃度、70%台まで下がっていたそうです。

点滴をしながら救急車の手配をしてすぐに自宅近くの医療センターへ搬送になりました。
この時、父は特に痛いとか苦しいとかいうのがなくて、話も普通にできました。

救急病院についてから

救急病院に搬送されてから、すぐに治療にはなりませんでした。
そうです。当時も新型コロナウイルス感染の可能性を否定できないということで、検査が行われました。(抗原抗体反応)
かなり長い時間待たされて、ようやく担当医が来たときには、二時間ほど経っていました。

そこからいろいろな検査が始まりました。
しばらくして、私が主治医に呼ばれました。

主治医「お父様ですが、左側の肺が真っ白です。大葉肺炎とCOPD、それから心不全状態です。かなり重症です。これからステロイドも大量に投与しますがご承知おきください」

私「はい。お任せしますので、よろしくお願いします。」

9月28日のことでした。


つづく